医学部受験英語個別指導

英語を教える前に必要なこと|震災直後の仙台で受験生から学んだこと

(この記事はまだ推敲中です)2011年の東日本大震災の直後、私は東京駅から仙台へ向かう高速バスに乗っていました。

当時、東北新幹線は止まっていました。仙台駅の新幹線ホームが地震で損傷していたためです。

バスの中では、乗客の携帯電話の緊急地震速報がひっきりなしに鳴っていました。

ただ、人間というのは慣れてしまうものです。何度か警報を聞くうちに、いつの間にかその状況にも慣れていました。

東北自動車道を北へ向かう途中、道路には亀裂が入り、ところどころに段差ができていました。

数十メートルおきに作業員の方たちが集まっていて、突貫工事でその亀裂や段差を埋める作業をしていました。

そのため、バスは大きく上下しながら東北自動車道を進んでいきました。

当時の私は、日本の大学院を修了したばかりで就職活動中でした。大学院生の時は修論と指導教授から受けていたアカハラの対応で手いっぱいだったので、就活している時間がなかったのです。

東京と埼玉にあるいくつかの予備校に履歴書を送っていましたが、その後に大地震が起き、なかなか返事が来ない状況が続いていました。

そんな中で、ある予備校の仙台校から連絡がありました。

「こちらに採用試験を受けに行きませんか」

震災の混乱で講師が足りなくなっていたのだと思います。正直に言えば、そのとき私は「行けば受かるだろう」と思いました。

ただ、周囲の人たちは皆、私にこう言いました。

「今は行かない方がいい」

当時は福島第一原発の事故も起きており、放射性物質を含む塵がどこまで広がっているのか分からない状況。不安を感じる人が多かったのも無理はありません。

きっと、若気の至りだったのでしょう。私は快諾し、仙台に向かうことにしました。


震災直後ということで、私はもっと大きな被害の跡が残っているのではないかと想像していました。

しかし実際に見た仙台の街は、思っていたほど「被災地」という印象ではありませんでした。表面的には大きな損傷はあまり見えず、普段の街の様子に近いように感じました。

その予備校は、駅から徒歩10分ほど歩いたところにある、銀行が入っているビルの最上階にありました。もともと銀行が入る設計で作られた建物だったらしく、ビル自体はかなり頑丈に作られていると聞きました。

大きな予備校ではなく、スタッフは3〜4人ほどで回しているような状況でした。

「早速ですが、模擬授業をしてもらいます」

私は、その予備校の一教室で「動名詞」の授業をしました。もともと準備していたものです。

授業をしている途中で、面接官の一人が席を立って部屋を出ていってしまいました。

「何かまずったかな?」

そんなことを一瞬考えたのを覚えています。

しばらくしてその人が戻ってきたとき、手には契約書がありました。

「来週から来られますか」

そのとき私は「ああ、受かったんだな」と思いました。

後になって知ったのですが、その席を立った人物はその予備校の校長でした。

翌週から週のうち5日仙台で教え、残りの2日を埼玉で過ごすという生活が始まりました。

最初は高速バスで仙台へ向かいましたが、その後少しずつ鉄道も復旧していきました。ただ、まだ仙台駅まで新幹線は通っていませんでしたので、福島駅まで新幹線で行き、そこから「新幹線リレー号」と呼ばれる列車で仙台へ向かうことになりました。

やがて仙台駅のホームも復旧し、再び新幹線が仙台まで走るようになりました。

仙台では主に予備校が用意した複数のビジネスホテルを転々として生活していました。震災直後ということもあり、ホテルの予約がなかなか取れなかったのです。

その予備校は個別指導だったため、授業の準備はかなり大変でした。

生徒一人ひとりに合わせて授業をするので、予習の量が非常に多かったのです。

授業を終えてホテルに戻り、その日の夜に予習をする。そして朝も早く起きて、また予習をする。

今思い返すと、睡眠時間はかなり短かったと思います。

授業中、眠気と戦うこともよくありました。

一度、授業中に助動詞の説明をしている最中に、しゃべりながら一瞬居眠りをしてしまい、夢まで見て、寝言まで言ったことがあります。

私が最初に担当した生徒は、全員浪人生でした。

最初に生徒と向き合ったとき、表面的には特に変わった様子はないように見えました。

ただ、今振り返ってみると、やはり震災直後ということもあって、教室の空気はどこか重かったように思います。

生徒たちはあまり口数が多くなく、笑いもほとんどありませんでした。

授業そのものは普通に進みます。英文を読み、構文を確認し、文法を説明する。いわゆる受験英語の授業です。

ただ、教室の空気にはどこか張り詰めたものがありました。

その様子を見て、私はできる限りおもしろく振る舞うようにしました。

例えば、英語の文法で「身体部位所有者上昇構文」を説明するときには、あえて変な例文を使ってみたり、

Susan hit herself on the head with a zucchini.
(スーザンは自分の頭をズッキーニで叩いた)

あるいは、ドナル○ダックのものまねをしてみたり、ドラ○もんの絵を書いたり、手当たり次第にやりました。

教室の空気が少しでも和らげば、と思っていたのです。

ある女子生徒で、授業中ほとんど表情を変えない子がいました。話すときも無表情で、まったく笑いません。

最初は私に対してだけそうなのかと思ったのですが、後で聞くと、どうやらすべての先生に対して同じような態度だったようです。

(この子、わざとやってるな)

そう思いました。それでも私は、その生徒の前でも面白いことを言い続けました。

1ヶ月ほど経ってようやくその子は吹き出しました。

そうしたことを続けているうちに、時間も経ち、少しずつ生徒の様子が変わっていきました。

最初はほとんど言葉を発しなかった生徒たちも、少しずつ話をするようになりました。

そして、ある程度時間が経つと、生徒たちは英語の話だけではなく、自分の話をするようになりました。悩みや不安を打ち明けてくれるようになったのです。

それらは必ずしも震災と関係のあるものではなく、むしろどの地域の受験生でも抱えているようなとこだったと思います。

受験のプレッシャー、将来の迷い、親との関係。

中には、こんなことを話してきた生徒もいました。

「実は、僕は医者になりたいわけではないんです。でも、親がそう言うので仕方なく目指しています。」

最初は授業を進めた方がいいのではないかとも思いました。しかし途中で考え直し、話を聞くことにしました。

その日の授業が、生徒の話を聞くだけで終わることもありました。

予備校側もその状況は理解してくれていました。私は毎回そのことを報告していたので、事情は把握してくれていたのだと思います。

その甲斐もあり、「少し気が楽になりました」と言ってくれる生徒さんもいました。

そして私は、あることを実感しました。

勉強を教える前に、まず生徒一人ひとりに向き合うことが必要なのだということです。

私は大学時代、英語教育のゼミに所属しており、学習者のモチベーションに興味を持っていました。

モチベーションがなければ、人は動きません。そして、モチベーションとは「やる気スイッチ」と言う単純な概念で説明できるようなものでもありません。

私は文法の説明を極めて生徒の知的好奇心を刺激することで、モチベーションを与えようと思い、大学院で英語学を勉強してきました。

しかし、モチベーションはそれだけではない。もし話を聞いてあげるだけで生徒のモチベーションが少しでも戻るのであれば、それはとても意味のあることだと思いました。

———
その後、私はその予備校で6年ほど指導を続けました。

ちなみに、当時「医者になりたいわけではない」と話していた生徒は、その後医学部に合格し、現在は医師として働いています。

数年前、私が留学から帰国したときに久しぶりに連絡を取り、東京で会うことになりました。彼の先輩で、これもまた私の元教え子だった医師も一緒でした。

その席で、私はふと思い出して言いました。

「君は昔、医者になりたくないと言っていたんだよ」

すると彼は少し驚いた顔をして、

「え?そんなこと言いましたっけ」

と笑いました。

受験生が抱えている不安というのは、後になってしまえば、本人さえ忘れてしまうこともあるのかもしれません。

それでも、あのとき生徒の話を聞く時間を大切にしてよかったと、今でも思っています。

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